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寿司の歴史を分かりやすく解説

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寿司の歴史

寿司の歴史

寿司というこの漢字は「すし」からきた当て字で、日本で生まれた文字です。本来は鮨・鮓として中国大陸から2000年前に日本にやってきました鮨は発酵、鮓は薄く剥ぐという意味です。

何が日本にやってきたのか?蒸し米に魚を漬け込み発酵させた保存食です!言わば魚の漬物ですね。保存食である魚の漬物は結構な貴重品で、1500年前には朝廷の税金の代わりとして使わてもいました。現在でも「熟鮓」や「鮒寿し」のように郷土料理として残っていますね!

時代は変わって安土桃山時代から食文化は激変します。例えば米の作り方も蒸すから現在の炊くに変わりました。この頃から本来この魚の漬物は米を蒸し魚を漬け込む事で約1年間しっかり発酵させてたのが、10日程で発酵を終わらせて、今までは米を捨てていたのだが米も一緒に食べるという保存食から料理になりました。

ここまでが寿司の入り口で、ここからが寿司の始まりですね。

なぜ10日程で発酵が終わらせれたのか?答えは酢です。この時代から市場に出回り始めました。しかも米に酢を混ぜた物が美味い!ということで「飯すし」として世間に出回り始めました。

さて、魚と米を一緒に食べる文化と米に酢を混ぜる文化が合わさって何が生まれたかというと、たっぷりの酢飯に魚を乗せただけの物が誕生しました。

そこから魚を薄く切って押す「押し寿司」と発展し、さらに箱に詰めて綺麗に仕上げる「箱寿司」となり、いよいよ握り寿司へとつながっていきます。

少し余談になるが、握り寿司の始まりは江戸前寿司である事は有名なのだが、この江戸前という言葉は当時鰻の蒲焼を指してました。まさに江戸城の前を埋め立てるにあたり、その場所で取れた鰻を当時の土木作業員さん達が食べていたのである。

しかし、本筋に戻るが江戸の町ではおにぎりに魚を一緒に握った魚おにぎりが流行っていました。近海で採れる魚を使っている事からこの魚おにぎりを江戸前と呼び、鰻からその名称を奪った形になりました。

ではいつ頃から魚おにぎりから現代の握り寿司になったのか?

魚おにぎりは江戸時代から始まり第二次世界大戦が終わるまで続きました。

大戦終了後は飲食店がほぼない状態でした。しかし現在では考えられないが、寿司屋がある制度を国に申し出たところ許可が降りたのが「委託加工制度」です。お客さんが米1合を持って来ると米代を差し引いた魚おにぎりが買えるという仕組みだ。

しかしおにぎりでは商売っ気がないと考えたのかは不明だが、米1合で握り10貫というルールが生まれたのである。

またまた余談ですがシャリの重さは1貫15gです。そして米1合は150gです、米は炊く事で重さが3倍になるので米の原価30%!これは商売上、凄く画期的です。

本筋に戻りますが、この委託加工制度は江戸前寿司だけに認められた制度ですので、当然全国の寿司屋っと言っても、握り寿司いわゆる江戸前寿司は東京だけで、大阪では松前寿司であったり地方で寿司の形は違ったのだが、こぞって江戸前寿司を始めることになったのである。これが寿司が全国に広がった理由です。

江戸前が生まれた当時は冷蔵技術などはありません、そこで生魚の保存力を上げる為に酢締めや醤油漬け、また塩漬けなど色々な一手を昔の先輩達は行いました。江戸の職人達はこの一手を一細工に変え、ひと握りひと細工が現在の江戸前寿司となりました。

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